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魔法瓶..

 

魔法瓶を最初に発明した人は…
イギリスの化学者・物理学者ジェームス・デュワー(1842-1923)

1873年(明治6)、イギリスの化学者・物理学者ジェームス・デュワー(1842-1923)は、金属容器を二重壁とし、その両壁間の内部を真空にしたところ断熱効果が認められた。これが真空容器による初めての放熱遮断実験である。(写真1)

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その後、ドイツの物理学者A.F.ヴァインホルトによるガラス容器を使った実験やフランスの物理学者アルセーヌ・ダルソンヴァールによる実験が行われた。

1892年(明治25)、デュワーがガラス2重瓶真空内壁に銀メッキを施し、鏡のように光らせて輻射による熱の損失をくいとめる実験器具を作り出した。これは今日の魔法瓶と基本原理において全く同じであった。(写真2)

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1904年(明治37)、ドイツのラインホルト・ブルガーが、初めて家庭用の保温保冷器具として製品化し、「テルモス(サーモス)」と名付けて売り出した。テルモスとは "熱" を意味するギリシア語から来た言葉で、公募で選ばれた商品名である。
その後、ドイツ、イギリスを中心に魔法瓶は次第に工業化されていった。


日本に魔法瓶が輸入されたのは…
1907年(明治40) 9月

東京日本橋にあった「日本銃砲店」の広告に、最初に販売された記事が掲載されている。
国内初の新聞広告を出したのは金丸銃砲店(1908年(明治41))。その後、ドイツのTHERMOS社(サーモス社)や伊藤喜商店などの広告も出され、国内での普及をめざしてきた。(写真3、4、5)

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「魔法瓶」の名付け親は…

1907年(明治40)10月22日付の東京朝日新聞で、東京帝国大学理学博士の飯島魁(いさお)が記者との対談で初めて「魔法瓶」と表現した.. とされている。


日本で初めて魔法瓶の国産化に成功したのは…
八木亭二郎(写真6)

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日本電球会社に在籍していた八木亭二郎は、1912年(明治45)電球の製造方法を応用し、魔法瓶が輸入されて実にわずか5年でその製造に成功するのである。
翌年には独立し「八木魔法壜製作所」として朝日新聞に国産品初の公告(1913年(大正2))を出している。(写真7)

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<全国魔法瓶工業組合 http://mahobin.org/episode.html