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「出前」はいつ頃から始まった?

 

街の様子をまとめた冊子(さっし/本)のことを、古くは「世事談(せじだん)」などと言いました。

これによると、どうやら江戸時代中期から出前は広まっていったようです。

 *江戸時代中期‥1700年代のはじめから1800年代の前半にあたる時期。

  8代将軍・吉宗(よしむね)~11代将軍・家斉(いえなり)が治めていた時代。

 

当時は、うどんやそばの移動式店舗を、「慳貪(けんどん)屋」と呼んでいたようです。

「慳」はケチなこと、「貪」はむさぼることで、

今の言葉に直せば「安くて腹を満たせる屋台」といったところです。

 

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江戸時代のことを題材にする落語では、そば屋のほかにも、

寿司・佃煮屋・豆腐屋といったさまざまな路上販売が登場します。

冷凍などの保存技術が発達していなかったこの時代、食材を売るには、

「店で待つ」よりも「客の元へ出向く」ほうが好ましかったのでしょう。

 

また、大八車の使用が一部制限されていた江戸市中では、

食材を天秤棒(てんびんぼう)で担ぎながら売り歩くスタイルの

「棒手振り(ぼてふり)」が主流でした。

 

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「豆腐ぅ、えー、トーフ」「シジミにぃ、アサリっ」

「納豆、なとなっとーう、なっと」などと、かけ声を出しながら

市中を売り歩いていました。

 

「出前」と言っても、注文を受けてから料理を運ぶのではなく、

「客の元へ出向く」路上販売としての「出前」が始まりでした。

 

ちなみに、この頃、江戸庶民が路上販売の屋台でよく食べていたのは、

「そば」「寿司」「天ぷら」で、この3つは「江戸の三味」と呼ばれました。

 *回店寿司屋が隆盛を誇るまでは、高級な食べ物として扱われてきた

  「握り寿司」ですが(今でも一人前数万円もする高級寿司店はあります)、

  元々は手軽な庶民の味として、屋台販売からスタートしたそうです。

 

歌舞伎(かぶき)観劇の幕間の休憩時間に食べられるように作られた弁当が

「幕の内弁当」で、花見の際には豪華な「仕出し弁当」がもてはやされる

ようになり、お店の中だけでなく、移動先や屋外で食事をするスタイルも

始まり、この頃の江戸の食文化はさまざまに発展していったようです。

<ドコモの出前&フード宅配サービス「dデリバリー」より抜粋>

 

(つづく)